在職老齢年金は、厚生年金に加入しながら働く人の老齢厚生年金が、給与の額に応じて減額・停止される仕組みです。「働くと年金が減るから、シフトを抑えている」という話を聞いたことがある方も多いはずです。今回の改正で、厚生労働省の試算では約20万人が老齢厚生年金を全額受け取れるようになると見込まれています。
この記事では、制度の基本、改正の中身、支給停止額の計算式、改正前後で受取額がどう変わるかを具体例で整理します。あわせて、誤解の非常に多い「老齢基礎年金は対象外」という論点と、今回の年金制度改正のその他の項目・施行時期も一覧にまとめます。
在職老齢年金とは:働くと年金が減る仕組み
在職老齢年金とは、厚生年金保険の被保険者として働きながら老齢厚生年金を受け取る場合に、給与や賞与の額に応じて年金の一部または全部が支給停止される制度です。「在職老齢年金」という名前の特別な年金があるわけではなく、通常の老齢厚生年金に対して調整がかかる、という理解が正確です。
調整に使われる金額は次の2つです。用語がやや硬いので、最初にここを押さえておくと以降の計算がすべて読めるようになります。
| 用語 | 中身 |
|---|---|
| 基本月額 | 加給年金額を除いた老齢厚生年金(報酬比例部分)の月額。老齢基礎年金は含みません |
| 総報酬月額相当額 | その月の標準報酬月額 + 直近1年間の標準賞与額の合計 ÷ 12。つまり「賞与も月割りで足した月収」 |
この2つを足した金額が基準額(支給停止調整額)以下であれば、老齢厚生年金は全額支給されます。基準額を超えた場合に、超えた分に応じて支給停止が発生します。
なお、この仕組みは65歳以上の人だけのものではありません。2022年4月の改正で、それまで28万円と低く設定されていた60歳台前半(特別支給の老齢厚生年金の受給者)の基準額も、65歳以上と同じ水準に統一されています。年齢によって基準額が違う、という古い理解のままの方は注意が必要です。
何がどう変わったのか:51万円 → 65万円
今回の改正の中身は、実はきわめてシンプルです。計算式は一切変わっておらず、変わったのは基準額だけです。
| 年度 | 支給停止調整額(基準額) | 備考 |
|---|---|---|
| 2024年度(令和6年度) | 50万円 | 改正法が「2024年度価格」の基準に用いた年度 |
| 2025年度(令和7年度) | 51万円 | 改正前の最後の年度 |
| 2026年度(令和8年度) | 65万円 | 2026年4月から適用。改正法による引き上げ+賃金スライド |
基準額が51万円から65万円へと14万円広がったことで、これまで年金の一部が止まっていた人は支給停止額が減るか、ゼロになる可能性があります。厚生労働省の資料によれば、2022年度末時点で65歳以上の働く年金受給権者は約308万人、そのうち老齢厚生年金の支給停止を受けていた人は約50万人でした。今回の改正で、このうち約20万人が全額受給に切り替わると試算されています。
この改正は、2025年6月13日に成立した年金制度改正法(同年6月20日公布)に基づくものです。改正の狙いは、年金制度を働き方によって年金額が左右されにくい仕組みに近づけることにあります。「これ以上働くと年金が減る」という理由で就労時間を抑える動きを弱め、意欲のある高齢者が働き続けられるようにする、という考え方です。
「62万円(2024年度価格)」と「65万円」の関係
報道や解説記事を読むと、「62万円になる」と書かれているものと「65万円になる」と書かれているものが混在しています。これはどちらも間違いではなく、指している時点が違うだけです。
改正法が定めた新しい基準額は「月62万円(2024年度価格)」です。ここでいう「2024年度価格」とは、2024年度の賃金水準に換算した金額という意味です。在職老齢年金の基準額は毎年度の賃金変動に応じて改定される仕組みになっているため、実際に施行される年度の金額は、そこから賃金の伸び分だけ動きます。
実際、2024年度の基準額は50万円、2025年度は51万円と、賃金上昇を反映して毎年動いてきました。同じ計算ルールを新しい基準額に当てはめた結果、2026年4月の施行時点で実際に適用される金額が65万円になった、というのが今回の経緯です。厚生労働省は2026年1月23日に2026年度の年金額改定を公表しており、その中で支給停止調整額を65万円とすることが示されています。
実務で使うのは、その年度に適用される実額 ——2026年度は65万円。
したがって、2027年度以降の基準額が65万円のまま固定されるとは限りません。賃金が上がれば基準額も上がり、下がれば下がる可能性があります。数年先の働き方を考えるときは、「65万円」という数字を固定値として計画に組み込むのではなく、毎年度の改定を確認する前提で見ておくのが安全です。
なお2026年度は、年金額そのものも改定されています。前年度から国民年金は1.9%、厚生年金は2.0%の引き上げとなり、老齢基礎年金の満額は月70,608円(昭和31年4月2日以後生まれの場合)となりました。2025年度の69,308円から1,300円の増額です。
支給停止額の計算方法
計算式は改正前後で変わっていません。使う基準額が51万円から65万円に置き換わるだけです。
① 基本月額 + 総報酬月額相当額 ≦ 65万円 → 支給停止なし(全額支給)
② 基本月額 + 総報酬月額相当額 > 65万円 → 支給停止額 =(基本月額 + 総報酬月額相当額 − 65万円)÷ 2
実際に受け取れる老齢厚生年金の月額 = 基本月額 − 支給停止額
ここで見落とされやすいのが、超えた分がまるごと止まるのではなく、超えた分の「半分」しか止まらないという点です。たとえば基準額を10万円超えたとしても、支給停止されるのは5万円です。「基準額を1円でも超えたら年金がゼロになる」という誤解が根強くありますが、そうではありません。
また、計算結果として支給停止額が基本月額を上回る場合は、老齢厚生年金が全額支給停止となります。年金額がマイナスになることはありません。加給年金額がある場合、老齢厚生年金の本体が全額支給停止になると、加給年金額も全額支給停止になります。
一方で、経過的加算額は在職老齢年金による支給停止の対象外です。65歳以降に受け取る年金のうち、老齢基礎年金と経過的加算額は、給与がどれだけ高くても止まりません。
改正前後で受取額はどう変わるか(試算例)
実際の変化を、いくつかのパターンで見ていきます。いずれも老齢厚生年金(報酬比例部分)についての試算で、老齢基礎年金は含んでいません。
合計=15万円+40万円=55万円
改正前(基準額51万円):超過額=55−51=4万円 → 支給停止額=4÷2=2万円 → 受取額=15−2=13万円
改正後(基準額65万円):55万円 ≦ 65万円 → 支給停止なし → 受取額=15万円(全額)
差額=月2万円・年間24万円の増
合計=12万円+50万円=62万円
改正前(基準額51万円):超過額=62−51=11万円 → 支給停止額=11÷2=5.5万円 → 受取額=12−5.5=6.5万円
改正後(基準額65万円):62万円 ≦ 65万円 → 支給停止なし → 受取額=12万円(全額)
差額=月5.5万円・年間66万円の増
合計=18万円+60万円=78万円
改正前(基準額51万円):超過額=78−51=27万円 → 支給停止額=27÷2=13.5万円 → 受取額=18−13.5=4.5万円
改正後(基準額65万円):超過額=78−65=13万円 → 支給停止額=13÷2=6.5万円 → 受取額=18−6.5=11.5万円
差額=月7万円・年間84万円の増(改正後も一部停止は残る)
合計=10万円+30万円=40万円
改正前・改正後とも:40万円は51万円も65万円も下回るため、もともと支給停止なし → 受取額=10万円(全額)で変化なし
今回の改正ですべての人の年金が増えるわけではありません。もともと基準額を超えていなかった人には、影響がありません。
試算例Cのように、合計が65万円を超える人でも支給停止額は改正前より小さくなります。基準額の引き上げは、全額受給に切り替わる人だけでなく、一部停止が続く人にも一定の影響があるということです。
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最重要:老齢基礎年金は支給停止の対象外
在職老齢年金をめぐって、もっとも誤解が多いのがこの点です。在職老齢年金で支給停止の対象になるのは、老齢厚生年金(報酬比例部分)だけです。
- ×支給停止の対象になる:老齢厚生年金の報酬比例部分(基本月額)。本体が全額停止になれば加給年金額も停止
- ✓支給停止の対象にならない:老齢基礎年金(国民年金部分)
- ✓支給停止の対象にならない:経過的加算額
つまり、どれだけ高い給与を受け取っていても、老齢基礎年金は満額のまま支給され続けます。2026年度の老齢基礎年金の満額は月70,608円ですから、この部分は在職中でも変わらず受け取れるということです。
もうひとつの勘違い:「基本月額に基礎年金も足して判定する」——足しません。基本月額は報酬比例部分だけで計算します。基礎年金を足して判定してしまうと、支給停止額を実際より大きく見積もることになります。
また、自営業やフリーランスとして働いている場合など、厚生年金保険の被保険者ではない働き方をしている人には、そもそも在職老齢年金の調整は適用されません。どれだけ事業所得があっても、老齢厚生年金は減額されません。在職老齢年金は「収入が多いと年金が減る制度」ではなく、あくまで厚生年金の被保険者(および70歳以上被用者)としての給与・賞与に対して調整がかかる制度です。
「働き損」を避けるための考え方
基準額の引き上げによって、これまで年金の減額を意識して働き方を調整していた方の判断材料は、確実に変わります。ただし、どう働くのが正解かは家庭ごとに異なります。ここでは、判断のために確認しておきたい材料を整理します。
1. まず自分の「基本月額」と「総報酬月額相当額」を確認する
判定に必要なのはこの2つだけです。基本月額は、ねんきん定期便や年金証書に記載された老齢厚生年金の年額を12で割った金額がおおよその目安になります(加給年金額は除きます)。総報酬月額相当額は、標準報酬月額と直近1年間の賞与から計算します。この2つを足して65万円を下回るなら、そもそも支給停止は発生しません。
2. 減るのは年金だけではない——手取りベースで比較する
働いて給与を増やしたとき、変わるのは年金額だけではありません。所得税・住民税、社会保険料も同時に動きます。年金の支給停止額だけを見て損得を判断すると、実態からずれます。給与増額分・年金減額分・税社会保険料の増加分を合算した「世帯の手取り」で比べるのが基本です。
3. 厚生年金に加入して働けば、年金額自体は増えていく
65歳以降も厚生年金に加入して働くと、その保険料納付実績は将来の年金額に反映されます。65歳以上の在職者については、在職定時改定により毎年10月分から年金額が改定される仕組みがあり、働いた分が比較的早く年金額に反映されます。目先の支給停止額だけでなく、この積み増し効果も判断材料になります。
4. 繰下げ受給を検討している場合は注意点がある
老齢厚生年金の繰下げ受給を考えている場合、在職老齢年金によって支給停止されていた部分は、繰下げによる増額の対象になりません。待機中に支給停止が生じていた期間があると、繰下げによる増額幅は想定より小さくなります。基準額が65万円に上がったことで支給停止が発生しにくくなった分、この論点の影響は以前より小さくなりましたが、高い給与で働きながら繰下げを検討する場合は確認が必要です。
今回の年金制度改正・その他の項目と施行時期
2025年6月に成立した年金制度改正法は、在職老齢年金だけの改正ではありません。項目ごとに施行時期が大きく異なるのが今回の特徴で、2026年4月に一斉に変わるわけではない点に注意が必要です。主な項目を時系列で整理します。
| 施行時期 | 改正項目 | 内容 |
|---|---|---|
| 2026年4月 | 在職老齢年金の見直し | 支給停止基準額を月62万円(2024年度価格)へ引き上げ。2026年度の適用額は65万円 |
| 2026年10月 | 社会保険の賃金要件撤廃 | 短時間労働者の月額賃金8.8万円以上という要件を撤廃(いわゆる「106万円の壁」)。週20時間以上・2か月超の雇用見込み・学生除外の要件は維持 |
| 2026年12月 | iDeCoの加入可能年齢 | 加入できる年齢の上限を65歳未満から70歳未満へ引き上げ |
| 2027年1月 | iDeCoの拠出限度額 | 拠出分から適用。第1号被保険者は月7.5万円、第2号被保険者は月6.2万円へ引き上げ |
| 2027年9月〜 | 標準報酬月額の上限引き上げ | 厚生年金の上限を段階的に引き上げ。2027年9月に68万円、2028年9月に71万円、2029年9月に75万円(現行65万円) |
| 2027年10月〜 | 社会保険の企業規模要件撤廃 | 段階的に縮小。2027年10月に36人以上、2029年10月に21人以上、2032年10月に11人以上、2035年10月に撤廃 |
| 2028年4月 | 遺族厚生年金の男女差解消 | 子のない配偶者について、男女とも60歳未満で死別した場合は原則5年間の有期給付、60歳以上は無期給付へ。有期給付には加算が上乗せされる |
| 今後の判断 | 基礎年金の給付水準の底上げ | 2029年の次期財政検証で基礎年金の給付水準低下が見込まれる場合に、底上げ措置を実施する規定が置かれた |
この表を見ると、60代前後の世帯にとって近い影響は在職老齢年金の見直しですが、配偶者がパートで働いている世帯には2026年10月の賃金要件撤廃が、比較的高い給与で働く世帯には2027年9月からの標準報酬月額の上限引き上げ(保険料負担の増加)が関係してきます。
また、遺族厚生年金の見直しは2028年4月と先ですが、世帯の保障設計に関わる大きな変更です。子のない60歳未満の配偶者について男女の取り扱いが揃えられるため、これまで対象外だった男性が新たに受給できるようになる一方、女性側は有期給付に移行する部分が出てきます。実際に施行が近づいた段階で、あらためて確認しておきたい項目です。
よくある質問
Q. 厚生年金に加入しない働き方なら、年金は減らないのですか?
A. 在職老齢年金の調整は、厚生年金保険の被保険者(および70歳以上被用者)として受け取る給与・賞与を対象としています。したがって、自営業・フリーランスとしての事業所得や、不動産所得、株式の配当・売却益などは、どれだけ多くても老齢厚生年金の支給停止の対象になりません。ただし、これらの収入は所得税・住民税や国民健康保険料には影響します。年金だけを見て判断せず、税・社会保険料も含めて確認することが必要です。
Q. 老齢基礎年金も減りますか?
A. 減りません。在職老齢年金で支給停止の対象になるのは老齢厚生年金の報酬比例部分のみで、老齢基礎年金と経過的加算額は在職中でも全額支給されます。2026年度の老齢基礎年金の満額は月70,608円(昭和31年4月2日以後生まれの場合)です。
Q. 「65万円」という基準額は、今後もずっと同じですか?
A. 同じとは限りません。在職老齢年金の基準額は毎年度の賃金変動に応じて改定される仕組みです。改正法が定めたのは「月62万円(2024年度価格)」という水準で、賃金スライドを反映した結果、2026年度の適用額が65万円になりました。2027年度以降は、その年度の改定内容を確認する必要があります。
Q. 70歳を過ぎて働いている場合も対象ですか?
A. 対象です。70歳到達により厚生年金保険の被保険者資格は喪失し、以後の保険料負担はなくなりますが、厚生年金の適用事業所で働き続けて給与を受け取る場合は「70歳以上被用者」として在職老齢年金の調整が適用されます。保険料は払わないのに支給停止はある、という点が分かりにくいところです。
Q. 基準額を1円でも超えたら、年金は全額止まってしまうのですか?
A. 止まりません。支給停止されるのは、基準額を超えた額の「半分」です。基本月額と総報酬月額相当額の合計が65万円を1万円超えた場合、支給停止額は5,000円です。ただし、超過額が大きく、計算した支給停止額が基本月額を上回る場合には、老齢厚生年金が全額支給停止となります。
Q. 基準額の引き上げに、何か手続きは必要ですか?
A. 受給者側での申請は原則不要です。勤務先が標準報酬月額に関する届出を適切に行っていれば、支給額は自動的に見直されます。実際の支給額は、日本年金機構から届く通知書や、ねんきんネットで確認できます。金額に疑問がある場合は、年金事務所や「ねんきんダイヤル」への問い合わせが確実です。
在職老齢年金の基準額が月65万円に引き上げられたことで、「働くと年金が減る」ことを理由に就労時間を抑える必要のある人の範囲は、確実に狭まりました。一方で、基準額は毎年度改定される、支給停止の対象は報酬比例部分だけ、施行時期は項目ごとに異なる——この3点を押さえておかないと、判断を誤りやすい制度でもあります。まずはご自身の基本月額と総報酬月額相当額を確認するところから始めるのが確実です。